伝統芸能(しゃちょ〜)

イクシスでは2年間頃から、ロボットに伝統芸能を躍らせてきている。当初は、人間国宝重要無形文化財の先生方の動きを何とかロボットにコピー、保存できないかと悪戦苦闘していました。
それと平行して、何度も国立劇場に足を運び、文楽狂言、日本舞踊の舞台を見に行き、終了後には楽屋に行ってご指導いただいておりましたが、やはり全くの違う分野。見ていると、眠くなる、眠くなる、眠くなぁ〜る。Zzzzz.....どんなに頑張っても寝てしまう。一体、他の人は何が面白いんだろう?と、途中から舞台鑑賞ではなく観客鑑賞を始めていました。
そうすると、面白いことを発見しました。観客の殆どは常連さん(たまに、観光客の外人さんがいるぐらい)で、彼らは演目の詳細を既に知っているんです(というか、めちゃめちゃ知ってる)。
映画館で同じ映画を何度も見る人なんていないのに、伝統芸能は逆に何度も見ている人しかいない。彼らの話に聞き耳を立てると「今回はxxxの役を、????さんが演じるんですって」などと話している。
そうなんです。彼らは(ショーとしての)演目自体を見ているのではなく、「この人(著名な演者)だと、この役・この場面はこうやって演じるんだぁ。」といった、演者による踊りの違いを楽しみに来ているんです。つまり動きの正確さは問題ではなく、そこで伝える感情表出が問題なんです。
そして、観客はその違いを楽しんでいる。ということは、動き自体には深い意味はない。

と、悟りをひらき、宗教法人を設立。じゃなくって、ロボットに伝統芸能を躍らせる場合、そもそも人間とヒューマノイドロボットとでは、根本的な構造が違うし、自由度の数も違う。踊りをコピーしても、そこで表現できる感情が同じとは限らない(というか無理)。
なら、場面場面で表現したい感情から、逆にロボットが動ける範囲で動作をオリジナルに作って行くことの方が重要ではないか?
そういう目で見て、そういう考えに基づいてロボットに踊りを躍らせる(動作を設計する)と、途端にロボットの動きに表現力が出てきました。もちろん、動作設計時には、伝統芸能の先生方には、相当苦労をかけましたが。
こうやって出来上がってきた「踊る!和ボット」。今では各地の有名な伝統舞踊など、相当数の踊りを踊れ、あちこちのイベントで引っ張りだこの人気者になりました。
また、2006年10月10日には、渋谷セルリアンタワー能楽堂で、人間(善竹十郎氏:狂言師重要無形文化財保持者)と和ボットが同時に同じ能舞台に上がって演目を披露します。伝統芸能も過去の資産を保存するだけでなく、今現在もどんどん進化し、新しいものを作って行かなければならないそうです。「現代版文楽」としてのロボットの存在価値も見出せそうです。